検索
  • 便利堂 国宝事典係

変わらない、人の心

最終更新: 4月15日

 皆さん、こんにちは。季節が変わり、外は暖かく過ごしやすい季節になってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。寒い冬からようやく解放されて、春を楽しみたい!という気持ちですが、新型ウィルスのこともあり、今はお家にいなければならないですよね。


 書いている私自身も、博物館や美術館に行きたくても多くが休館状態で、テレビやインターネットを見ても明るいニュースは少なく、辟易しています。何かにすがりたいという気持ちが湧いてくる、ここ最近です。


 しかし、人と疫病の関係は今に始まったことではありません。歴史を振り返れば、これまで幾度となく人は疫病と戦ってきました。そんな時、当時の人たちはどんな気持ちだったのでしょうか?今回はそんなテーマをご紹介します。


神輿に祈る人々

 京都の市街(洛中)と郊外(洛外)の景観や風俗を描いた屏風絵で、「洛中洛外図屏風」というものがあります。多くの人が一度は見聞きしたことがあるのではないでしょうか?しかし、洛中洛外図屏風と言っても、これまでいろいろな絵師によって描かれてきており、16世紀初頭から江戸時代にかけて盛んに制作されてきました。


 なかでも代表的なのが、いわゆる「上杉本」と「舟木本」です。どちらも国宝に指定されており、「上杉本」は米沢市上杉博物館が、「舟木本」は東京国立博物館が保管しています。

洛中洛外図(舟木本) 右隻
洛中洛外図(舟木本) 左隻

 洛中洛外図は、右隻に東方面、左隻に西方面を表現するものが多く、京の町並みはもちろんのこと、四季を表す風物や行事が数多く描かれています。


 特に祇園祭はほとんどの屏風に登場し、例えば「舟木本」に描かれている神輿渡御の場面では、よく見ると、今まさに三条通を西から東へ神輿を担ぐ「駕輿丁」と呼ばれる人々がわらわらと進んでおり、その勢いと熱気が伝わってきます。列の先には扇を持った人たちが駕輿丁を煽っており、威勢のよさと華やかさが屏風から感じられます。

神輿を担ぐ駕輿丁と見物人

 さて、駕輿丁から画面右に目を移してみると、多くの見物人がいることが分かります。彼らは身分の高い人々の様に「桟敷」を用意しておらず地に座っていることからも、いわゆる民衆であることが分かりますが、その様子に注目してみてください。皆、頭を下げて合掌しているのがわかりますよね。合掌の対象は、祇園社(現在の八坂神社)の神様が乗った神輿で、現在の祇園祭同様に、当時の祇園祭も三基の神輿が「御旅所」に渡御しました。

現代の御旅所と三基の神輿

 それにしても、ここまで当時の人たちが熱心に神輿に対して合掌し「祈っていた」のはなぜでしょうか。それは祇園祭という神事の性質にあります。



何かにすがる人の思い

 祇園祭の由来となった祭礼自体は、平安時代の貞観5年(863年)まで遡ります。当時の都は右京が衰退し、七条以南も京外となったことで、都の凝縮が進み、同時に、人が集中したことで密集地となっていました。さらに高温多湿の土地柄や、衛生環境の未整備などが重なり、梅雨や夏の時期には、天然痘や赤痢、現在のインフルエンザなどの疫病が大流行するなど、今では「美しき古都」と考えられがちな京都は、当時、大変な場所だったのです。

小路で排便している様子 (『餓鬼草子』田中訥言 模写 )

 これに対して人々は、疫病の原因を、恨みを持ったまま亡くなっていった怨霊の祟りであると考え、怨霊を鎮めるための祭礼として御霊会を始めます。その後、貞観11年(869年)頃には、牛頭天王を祀り無病息災を祈念するようになりました。これが祇園祭の始まりと考えられています。


 このように、祇園祭をはじめとする御霊会は、疫病が鎮まるように、あるいは疫病が流行しないように祈るための祭りだったわけです。ここ最近の世の中の状況では、疫病が早く治まるように祈りたくなる気持ちも、よくわかりますよね。



お家の中からこっそりと…?

 そんな御霊会に関連した興味深い記録が、とある人の日記に残っています。それは現在でも有名な京都吉田神社の祠官、吉田兼敦が書いた『兼敦朝臣記』で、その中の応永9年(1402年)7月18日条には、次のようなことが記されています。


「(前略)申半刻神幸御旅所、為蓬門之向之間、密奉拝見之、神輿美麗驚目了(後略)」


 このとき、兼敦は父親である吉田兼煕が死去してから時が経っていなかったために、祭礼などには参加することができませんでした。というのも、当時の特に公家衆の間では、人が亡くなった際など、身内の者は穢れに触れている人間として考えられ、神事などからは一定期間離れなければならないという考えがあったためで、兼敦もそれに従っていました。(注:「触穢思想」というもので疫病とは別です)


 しかし、自分が居た家の目の前が、京都御霊社の神輿が来る御旅所だったため、どうしても気になったのか、密かに神輿を拝見してしまったのです。ちなみにその感想は「神輿が大変綺麗で驚いた」というもの。


 吉田神社と言えば、神社界の中でもトップクラス。その吉田神社の祠官が、あまりにも気になりすぎて、決まり事を少し無視ししながら、こっそりと見てしまったということを日記に書いているわけです。


 時代や環境が違う分、今とは異なる部分は多くありますが、人の気持ちや考えは、時代が経っても変わらないのかもしれません。



今こそお家で楽しもう!

 最初にご紹介した洛中洛外図屏風の舟木本には、時間を間違えたのか、あるいは、はやる気持ちからか、祇園祭を見ようと三条橋を駆ける人々が描かれています。このような光景も、時代が変わった現代でも見かけますよね。しかし今は、こんな状況。この人たちの様にはならず、人混みは避けて、お家でゆっくりとしましょう。

三条橋を駆ける人々

 幸いなことに、私たちが生きる今の時代はインターネットが発達し、家の中にいても世界の色々な情報を得ることができます。博物館美術館の中にはストリートビューなどを利用して、展示室を公開している館もあり、兼敦のように「こっそり」せず、お家で堂々と楽しめます。


 もしくは、こんな時だからこそゆっくり国宝事典を眺めて、状況が落ち着いた後に見に行く作品を決めるという過ごし方も、面白いのではないでしょうか。また、便利堂はお家で楽しめる美術商品など数多く制作していますので、ぜひそちらもご覧ください!


 いつの時代も困難な時期がありましたが、人は常に様々な方法で乗り越えてきました。今回もまた難しい時期ではありますが、今は家で美術を楽しみ、落ち着いたら安心して作品を見に出かけましょう!


オンラインミュージアムはこちらから



出典:『洛中洛外図屏風(舟木本)』と『餓鬼草子(模本)』の写真につきましては、 国立博物館所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/)より拝借しました。なお、一部画像はトリミングしております。


129回の閲覧

創業明治20年

本書の刊行は便利堂創業130周年記念プロジェクトのひとつとして取り組んでいます。

075-231-4351

京都市中京区新町通竹屋町下ル弁財天町302番地

© 2017 Benrido Inc.

  • White Twitter Icon
  • White Facebook Icon